韓国梨泰院で発生した将棋倒しの事故で、日本人が2名巻き込まれてしまいましたね。
そのうちの1人が冨川芽生さんです。
まさかの事故に巻き込まれることとなってしまった冨川芽生さんはどのような方だったのでしょうか。
今回は冨川芽生さんはモデルだったのかについて、調査してみました。
また、facebookやインスタのアカウントがあるかや父親、経歴や学歴についても紹介しています。
冨川芽生はモデルだった?
冨川芽生さんがモデルだったかについて、調査してみました。
冨川芽生はモデルだった
冨川芽生さんはモデルをしていたことが分かりました。
「cherishdoll」という、モデルの派遣会社に登録していました。
現在、冨川芽生さんのページは削除されていますが下記のようにモデルとして、掲載されていたんですね。
ここに記載されていたプロフィール情報としても、報道されている冨川芽生さんと一致していることが分かります。
のプロフィール | 詳細 |
---|---|
名前 | 冨川芽生(とみかわ めい) |
生年月日 | 1996年6月9日 |
年齢 | 26歳(2022年時点) |
趣味 | ピアノ、ハンドメイドイヤリング・ピアス制作、カフェ巡り、韓国語、国際交流、旅行、読書、音楽鑑賞、写真 |
特技 | ピアノ、韓国語、茶道、きれいに字を書くこと、水泳、整体、エステ、ハンドメイドイヤリング・ピアス制作 |
【動画】クルーズTVにも出演
冨川芽生さんはクルーズTVに出演していた「メイ」さんではないかと言われています。
それがこちらです。
左から2番目の女性がメイさんで、本稿下部で紹介している様に顔がにているんですよね。
モデルをしていたことが分かっていますし、冨川芽生さんである可能性は高いのではないでしょうか。
冨川芽生のfacebookやインスタ顔画像!
冨川芽生さんのfacebookやインスタグラムアカウントについて、紹介します。
facebookアカウント
冨川芽生さんのfacebookアカウントは特定できています。
複数の個人アカウントを持つことが出来ないfacebookアカウントで、冨川芽生さんのアカウントを探してみました。
こちらが、冨川芽生さんのアカウントだと言われています。
プロフィールを見てみると、梨泰院での被害者である冨川芽生さんと情報が一致していることが分かります。
プロフィールには韓国のソウル在住となっていて、渡航していることが分かるようになっています。
また、顔画像からも冨川芽生さんであることが分かりますね。
インスタグラムアカウント
冨川芽生さんのインスタグラムのアカウントについても見つかっています。
2つのアカウントを持っていたので、両方紹介しますね。
アカウント①:個人アカウント
まず、こちらのアカウントが冨川芽生さんの個人アカウントです。
こちらのアカウントに下記の画像のように報道で使用された冨川芽生さんとされる顔画像が載っていました。
この画像と同じ投稿がこちらです。
全く一緒ですので、この「nanamrj22」というのが冨川芽生さんのアカウントであることが分かります。
アカウント②:アクセサリー販売用
冨川芽生さんの2つ目のアカウントはアクセサリー販売用として、使用されていました。
こちらがそのアカウントです。
インスタの投稿には冨川芽生さんが作ったハンドメイドのアクセサリーが載っています。
冨川芽生さんが実際に使用した画像も載せていました。
販売サイトは「minne」というサイトで、
パールを使用したイヤリングやピアスを販売していたことが分かりますね。
冨川芽生の父親は市議だった
冨川芽生さんの父親は市議だったことが分かっています。
まず、こちらが冨川歩さんの顔画像です。
北海道根室市市議の冨川歩さんと、顔が一致しているように見えませんか。
こちらが根室市議の冨川歩さんの顔画像です。
同一人物のように見えますよね。
調べてみるとやはり、冨川芽生さんの父親が根室市議の冨川歩さんであると紹介されている報道がありました。
留学生冨川芽生さん(26)の父で北海道根室市議の歩さん(60)
河北新報
報道機関に父親である歩さんがすぐ顔出しをしていたのは市議でもあったからなんですかね。
冨川芽生さんは父親と直前まで連絡を取っていたと言います。
父親が、娘とのSNSのやりとりを教えてくれました。「ビビンバ美味しかったよ!! きょうは同じクラスのフランス人と会う」が最後のメッセージでした。
UHB
ここまで頻繁に連絡を取っていたようですので、親子仲も良かったと思われますね。
冨川芽生さんの学歴や経歴
冨川芽生さんの学歴や経歴を紹介します。
冨川芽生さんはブライダル&ホテル観光専門学校を卒業しています。
専門学校でパーソナルカラーコーディネート検定の資格を取得されていました。
その他にも花嫁のトータルコーディネートに携わっていた経験から、冨川芽生さん自身のデザインを生み出すことにやりがいを感じていたそうです。
上記で紹介したピアスのデザインもここから始まっているのかもしれないですね。
専門学校卒業後はWEBデザイナー育成講座を受けて、デザインを学んでいました。
学んだのはバナーやLP、YouTubeのサムネイルの制作をしていたそうです。
それを仕事にもしていたことが分かっています。
高校生の頃から韓国にも興味があり、韓国語の勉強をしたりしていました。
やっと叶った韓国への渡航後に、楽しいひとときを過ごすはずだったハロウィンで、将棋倒しに巻き込まれ、この世を去ることとなってしまいました。
冨川芽生さんのご冥福をお祈りいたします。