下関国際高校が決勝進出しましたね!
どんな学校なのか調べてみると「かき氷」という検索ワードが出てきたり、「かき氷国際」という単語が出てきます。
また、SNSでもこのような単語で呼ばれているのを、見かけた方もいたかもしれませんね。
これらを見て、「かき氷と下関高校との繋がりって一体なんだろう?」「どういうこと?」と、疑問に思いませんでしたか?
今回はなぜ、下関国際高校がかき氷国際と呼ばれてるのかについて、調査してみました。
調べてみると、三本松高校と下関国際高校の監督が関係していることが分かりました!
【なぜ】下関国際高校が「かき氷国際」と呼ばれていた?
下関国際高校は「かき氷国際」と、呼ばれています。
「かき氷」という、単語を検索ワードとして見かけた方もいるかもしれませんね。
また、実際にSNSで下関国際高校のことを「かき氷国際」と、読んでいる人も多数見られます。
どうして「かき氷」という単語が下関国際高校には付けられているのでしょうか。
関連性がなく、「え?どういうこと?」と、疑問ではありませんか。
調べてみると、三本松高校と下関国際高校の監督に関係があったことが分かりましたよ。
【なぜ】下関国際高校が「かき氷国際」と呼ばれる原因は三本松高校と監督に関係がある?
下関国際高校が「かき氷国際」と、呼ばれる理由は下関国際高校の監督が「かき氷」を食べていた三本松高校の生徒について、発言したことが原因でした。
この発言は約5年前(2017年)のことです。
下関国際高校の坂原秀尚監督が自身の指導方法の比較として、甲子園球場で「かき氷」を食べていた三本松高校の部員を挙げていました。
三本松さんの選手、甲子園(球場)でカキ氷食ってましたよ。うちは許さんぞと(笑い)。僕らは水です。炭酸もダメ。飲んでいいのは水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ。買い食いもダメ。
日刊ゲンダイ
坂原秀尚監督の指導方法として、食べ物や飲み物に関するルールがあると話されていました。
この時の発言から、下関国際高校は「かき氷国際」と呼ばれることとなってしまったんですね。
また、当時はこれらの指導方法が厳しいことや、考え方が古いと批判のコメントもありました。
ですが実際に、坂原秀尚監督は下関国際高校を甲子園に出場出来るチームへ育てているので、厳しさも指導の一つなのかもしれませんね。
坂原秀尚監督の指導方法や、経歴については下記で紹介しています。
下関国際高校|坂原秀尚監督はどんな人?
下関国際高校の坂原秀尚監督について紹介します。
坂原秀尚監督のプロフィール
のプロフィール | 詳細 |
---|---|
名前 | 坂原秀尚(さかはら ひでなお)監督 |
生年月日 | 1976年10月11日 |
出身地 | 広島県広島市 |
血液型 | AB型 |
身長 | 175cm |
担当科目 | 保健体育科教諭 |
坂原秀尚監督の学歴まとめ
坂原秀尚監督の学歴について紹介します。
広島国際学院高等学校で野球部に所属
高校時代は広島国際学院高等学校で野球部に所属していました。
ですが、甲子園に出場することはなく、高校時代を終えています。
広島国際学院大学・東亜大学
広島国際学院高等学校を卒業した、坂原秀尚監督は広島国際学院大学に進学します。
卒業後に「ワイテック」という、社会人野球に所属したことをきっかけに、高校野球で監督をしたいと思うようになりました。
ですが、広島国際学院大学では教員免許を取得していなかったため、夢を実現すべく東亜大学へと入学しています。
坂原秀尚監督の経歴まとめ
坂原秀尚監督の経歴について紹介します。
東亜大学在学中に下関国際高校の監督へ志願する
東亜大学に在学している最中に下関高校の監督が不在という、噂を耳にしていました。
校長先生がひとりで指導している、という話が聞こえてきました。2年時編入で東亜大に通学していて、3年間は下関にいるので『僕でよければお手伝いさせてください』と手紙を送ったんです
Sportiva
これを聞いた坂原秀尚監督は手紙を送って、監督の志願をしたんですね。
これが坂原秀尚監督と下関国際高校との出会いとなりました。
下関国際野球部監督に就任
上記で紹介した手紙を下関国際高校に送った坂原秀尚監督は監督に就任することが決まりました。
就任したのは2005年8月で、東亜大学の在学中から、下関国際高校の監督を務めることとなりました。
2017年夏に初めて甲子園に
坂原秀尚監督は就任した2年後の夏(2017年)、無名であった下関国際高校を甲子園へ出場する野球部まで育てました。
その後は2018年春夏、2021年春、2022年夏と、甲子園に出場を果たし下関国際高校が強豪校となっています。
2022年夏では決勝まで上り詰めており、優勝目前です。
坂原秀尚監督が荒れていた下関国際を立て直した人物
坂原秀尚監督は荒れていた下関国際高校の野球部を立て直した人物としても、有名です。
実は、下関国際高校へ坂原秀尚監督が就任した当時、下関国際高校は不祥事があった直後でスタンドからヤジが飛ぶような野球部だったそうです。
その上、無名であった下関国際高校の野球部には自信のない生徒の集まりでした。
ウチに来る選手は、基本的に大きな実績を残せていない選手です。たとえば、現チームでエースの鶴田(克樹)も中学時代は軟式で無名の捕手でした。地元の強豪から声がかからなかった県外出身の選手もいます。
Sportiva
そんな野球部に突然厳しい監督が就任し、一時は部員が1人となってしまった時期もあったそうです。
突然、厳しい監督が来たとなって、(部員が)みんな辞めて最後は1人になりました。その後、3人戻ってきて4人になった。グラウンド整備や道具の扱いが、とにかくヒドかった。野球がうまい下手のレベルじゃない。そういうマナーを教えると、面倒くさがって辞めていくんです
この状況は誰が聞いても、ひどい状態であると分かりますね。
下関国際高校のひどかった野球部を甲子園に出場するまで成長させた、坂原秀尚監督は厳しい指導がある上でしっかり、生徒と向き合っていたんだなと思いますね。
ではどのような、指導方法をしていたのでしょうか。
坂原秀尚監督の指導方法
坂原秀尚監督の指導方法について紹介します。
上記でも紹介した、坂原秀尚監督の少々厳しいと言われる指導方法について、まとめてみました。
- 県外(広島、東京、大阪)への遠征で試合をして、競ったり勝ったりして選手に自信をもたせる
- 携帯電話は入部時に解約
- 朝5時からの朝練は半強制的に
- 夜の練習は21〜23時まで
- 練習は時間で区切らない
- 飲み物は水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクのみで、炭酸は禁止
- 買い食い禁止
かなり厳しく、昔の指導法のようなスタイルを連想してしまいますね。
ですが、もともと自信がない生徒達を成長させるには有効的だったということになりますよね。
他校の監督さんは『楽しい野球』と言うけど、嘘ばっかり。楽しいわけがない。僕は現役のとき、日々の練習で野球が楽しいと思ったことはなかった。『楽しく』という餌をまかないと(選手が)来ないような学校はちょっと違う
日刊ゲンダイ
また、厳しい練習をする理由には楽しいと思ったことがないという、坂原秀尚監督の経験もあるようです。
実際に甲子園の決勝まで行く野球部へと成長していますし、これからの活躍も期待したいですね。