村岡桃佳選手が北京パラリンピックで金メダルを獲得されましたね。
日本人第一号となり、アルペンスキーの滑降ぶりに「すごい」と思った方も多いのではないでしょうか。
前回の平昌パラリンピックにも桃佳選手は出場されていますが、父親や母親がどのような方なのか気になりませんか。
今回は村岡桃佳選手の父親がスキーの選手なのかや、母親の職業について調査してみました。
さらに、家族構成や生い立ちについても紹介しています。
村岡桃佳の父親はスキーの選手?
村岡桃佳の父親はスキーの選手ではありませんでしたが、スキーは滑れたようです。
コーチや指導者もいませんでしたから、すべて父に教わっていました。といっても父もスキーは趣味程度。競技に携わっていたわけではありませんでしたから、二人で手さぐりの練習でした。
Challende Support
趣味程度のスキーで桃佳選手と一緒にチェアスキーの練習を始めたんですね。
チェアスキーの競技者は少なく、指導を受けるわけではなかったため、見よう見まねで習得してきているんです。
父親はそんな村岡桃佳選手の横でずっと練習に付き合ってくれていたそうなんですよ。
いつも練習に付き合ってくれて私をサポートしてくれた父に感謝しています。
Challende Support
桃佳選手にとって、父親の存在がかなり大きかったということが分かりますよね。
村岡桃佳の母親の職業は?
村岡桃佳選手の母親の職業については分かりませんでした。
ですが、パラスポーツを頑張りたいという桃佳さんやそれをサポートする父親を全力でサポートされていたと思われますね。
また、桃佳選手の母親も競技に同行していることが分かっています。
チェアスキーを学ぶにあったって父親の存在が大きかったとはお思いますが、父親が同行できない時は母親が付いて行き、サポートしていたのだと思われますね。
桃佳選手がチェアスキーなどのスポーツに、これまで取り組んでこれたのは両親のサポートが強かったことが分かりますね。
村岡桃佳の家族構成や生い立ちも
村岡桃佳選手の家族構成や生い立ちについて紹介します。
村岡桃佳の家族構成:6人
桃佳選手の家族構成は6人です。
村岡桃佳さんに両親のどちらかが練習に付きっきりだったとしたら、後3人も子供がいるということになりますよね。
そのため、両親は子供の面倒を見るだけでも、かなり大変だったのではと思われますね。
家族構成内容は下記の通りです。
- 父:秀樹さん
- 母:操さん
- 兄:弥沙紀さん
- 姉:祐里さん
- 本人:桃佳さん
- 妹:姫佳さん
桃佳さんは次女で4人兄弟の3番目ということになりますね。
母親と兄、妹の映像が平昌オリンピックの際に、インタビューを受けた動画が残っていました。
妹さんが桃佳さんにそっくりですね。
現地まで応援に駆けつけていたようで、姉の祐里さんは埼玉県のパブリックビューイングで祖母と応援されていたそうです。
村岡桃佳の生い立ち:車椅子生活で引っ込み思案に
村岡桃佳選手の生い立ちについて紹介します。
桃佳選手は埼玉県出身で、雪が降らない土地に生まれていたんですね。
車椅子生活の原因
桃佳選手が車椅子生活になってしまったのは病気が原因でした。
4歳の夏、家の近くのスーパーに出かけた時だった。急に足が重たい感じに襲われた。帰る時には両足が動かない。兄の背におぶわれて帰った。
横断性脊髄(せきずい)炎による下半身まひ。原因は不明だった。この日以来、車いすでの日々が始まった。
朝日新聞
突然発覚した病気で歩けなくなるのは4歳という、走り回りたい時期の桃佳選手にとって苦痛だったのではないかと思われますね。
車椅子生活
元々、走り回るような外で遊ぶことが好きだった村岡桃佳選手は車椅子生活になり、小学生ながら健常者から避けがちにされてしまうのが嫌だったそうです。
一般の小学校に進んだので、周りには健常者の友だちしかいなかったんです。でも私は同じことが一緒にできないのが嫌でした。たとえば鬼ごっこや追いかけっこをしても、私は車いすだから動きが遅い。そこでタッチされるのも嫌でしたが、気を使ってタッチをされないのはもっと嫌でした。
トヨタイムズ
そのため、塞ぎ込んでしまって外に出ることが少なくなってしまったそうです。
当時、小学生低学年だった桃佳選手にとっては相当辛かったのが分かりますよね。
車椅競技との出会い
塞ぎ込みがちになってしまった桃佳選手を父親が車椅子生活の気持を理解したいと、車椅子を使ったスポーツを始めたそうです。
小学2年生のときに、父が“車いすスポーツの体験イベントがあるよ”、と勧めてくれたんです。
トヨタイムズ
体験したのはテニスやバスケ、アイスホッケーなどに挑戦し、陸上競技をメインにスポーツを始めています。
その中で、友達からチェアスキーの体験会へ誘われたのがチェアスキーとの出会いだったんだとか。
ですが、派手な転び方をしたことにより「恐怖」を覚えてしまい、中学2年生になるまでは本格的には取り組まなかったそうです。
村岡桃佳は二刀流選手
村岡桃佳選手は陸上とチェアスキーの二刀流選手なんです。
東京パラリンピックで陸上競技に出場されていて、結果は6位入賞をされています。
表彰台を逃してはいるものの、入賞できているのはすごいですよね。
子どもの頃にやっていた陸上にもう一度取り組んでみたい気持ちと、少しでも可能性があるならチャレンジしてみたいという気持ちが沸き上がってきたんです。
トヨタイムズ
桃佳選手が陸上でもパラリンピックを目指してみたいと思ったのは平昌オリンピックの後だったそうです。
過去に頑張って来た陸上をという思いが心のどこかにあったというのに加え、スキーから離れたいという気持もあったそうです。
「勝って当たり前」というプレッシャーが辛くなっていたそうです。
陸上はスキーに比べて競技人口が多く、日本代表になるのも難しい。そう説明すると、村岡選手の表情は硬くなり、同行していた村岡選手の母も「これ以上やれるのか」と心配そうな様子だった。
朝日新聞
ですが、陸上を希望した桃佳選手にとって目の前にあったのは厳しい現実だったんですね。
この話を持ち出したのが2019年の春で、東京オリンピックは当時1年後の2020年という時間もなかったタイミングです。
かなり厳しい状態で村岡桃佳選手は「挑戦する」という選択肢を選ばれています。
練習を始めて2カ月後に100メートルの日本記録を樹立した。「どう見てもきついのに、『大丈夫』としか言わない」。
朝日新聞
始めて2ヶ月での記録はすごいですよね。
特に、競技用車椅子の扱いにセンスがあったそうです。
パラリンピックへの出場を果たした後、村岡桃佳選手はスキーに復帰して二刀流となっています。
これからの活躍にも期待したいですね。